風雲児の
播州
雑記帳
 その5
X(ツイッター)?はじめました!
〜戦国時代の殿様のつぶやき〜 
赤松則房雑談聞書

赤松則房
@kazusanosuke

播磨・備前・美作を治めた大大名赤松家の当主です。
乱世のため、勢力圏は姫路の北部、置塩城周辺だけになっていましたが、織田右府様や関白殿下のもとで戦い、今回、阿波国板野郡に一万石を賜りました。
名門復活に向けて頑張ってます!

 兵庫県/徳島県









画像:コーエーテクモゲームス「信長の野望 創造」
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 はじめまして!赤松上総介則房です。
 これから、私が書いた『赤松則房雑談聞書』という文献について紹介していこうと思います。

 これは、日頃から聞いている俚諺や土俗の話を思い出し、土地の話・都の話・田舎の話・戦の話などを色々と取り交え、雨の暇にまかせて箇条書きの短文で書き連ねたもので、いわば戦国時代の「X」とか「ツイッター」みたいなものですね。
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 この文献は元亀元年(1570年)の6月に書き、家臣の堀五郎左衛門に清書させたものです。
 私の家老・山田助九郎時繁が書き写したものが播磨の歴史・地理に関する書物を集成した「播陽万宝知恵袋」(宝暦10年)に収録され、今に伝わっているようですね。
 
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 箇条書きの短文と言っても全部で186条もあるので、さすがに全部は紹介できません。
 もし活字で全部読みたい人がいたら、臨川書店という会社が発行した『播陽万宝知恵袋』下巻を読んでみてください。
 西播磨地方の図書館で探せば見つかる・・・はず。
 私の曽祖父、祥光院(赤松義村)様が書き残された『秘事枕』も収録されてますよ。
・戦国時代の作法
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 まず、あなたの知らない戦国時代の作法についてお話ししましょう。
 知っておかなきゃタイムスリップしたときに困りますよ。
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 風呂は左の足から入るものです。

 (風呂へ入ハ、左の足より入る也。)
リツイート 源義朝 @kidachinoipponsaeareba 八百数十年前

 風呂に入るのって怖いよね。
リツイート 太田道灌 @touhoumetsubou 五百数十年前

 ほんと、怖い!
リツイート 細川政元 @ane no adanawa onigawara 五百年程前

 風呂なんて二度と入りたくない。
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 輿(こし:貴人の乗り物)に召された女性は、右の足から入ること。

 (輿へ召す女臈ハ、右の足より入る。)
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 主人に傘を差す時は右の方から差しましょう。
 (主人にハ、笠をさすは右の方)

 ただし、馬に乗っている人に差す場合は左からにするように。
 (馬上へかさをさすハ、左の方より。)
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 武士は内蔵助、左京大夫、上総介といった仮名(けみょう)を名乗ります。
 ○○の助なら構いませんが、允(じょう)、大夫(たいふ)、介(すけ)、進(しん)を勝手に名乗ることは許されません。遠慮しましょう。

 (かまいなきハ何の助。允、大夫、介、進、私ならず。はゞかるべし。)
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 渡り箸、塩の十でん、つまみ食い、握り箸、かきこみ箸は許せない!

 (渡り橋、塩の十でん、つまみくらひ、端にぎり、かきこミ箸ゆるすまじ。)
______ 得平定阿 @sekishoki no sakusya 四百五十年程前

 渡り箸というのは、おかずを食べた箸で(間に飯を食べないで)またおかずを食べたり、いったん箸を付けたにも関わらず、その品を食べずに他の品へと移ることですね。
 「塩の十でん」は何でしょうね?
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 酒を強いる時は、盃に半分ほど注いだものを三杯飲ますものです。

 (酒をしいるに、中扱に三盃のますもの。)
リツイート 足利義教 @6dai syogun 六百年程前

 そういえば余の侍女に酌の下手なやつがいたな・・・。
 その後すぐに死んだがな。フフフ・・・。
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 日和のことを天気が晴れたと言いますが、本来は天気が良い、天気が悪いというように言わねばなりません。

 (ひよりをば天気晴れたると云。もとハ、よき、あしきと付ねばならず。)
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 礼をするときは、「入」という形で手をつきなさい。

 (手をつくハ、入と形せよ。)
・日々のつぶやき、豆知識
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 妻を失う原因、それは側室を迎えること、体を求めすぎること、盗みを働くこと、悪口を言うこと、贅沢すること、子ができぬこと、悪い病にかかること。

 (妻をさる。うハなり、淫多、盗、悪口、奢、不産、悪病。)
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 よしあしという言葉は、二つなのか?一つなのか?

 (よしあし。二物、一物か。)
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 すりこ木のことを「ならし」、こんにゃくを「こん」、餅を「歯固め」、米を「打ちまき」と言います。

 (擂木をならし、こんにやくをこん、餅をはがため、米を打ちまき。)
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 古代の器を「杯(つき)」といいます。酒杯、高坏、油杯などのように。

 (古代器物をつきといふ秘訣。酒つき。高つき。油つき。)
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 は、盗人の被害に遭わぬための秘密のまじないです。

 ( 盗人 さいなんに不逢。秘々。)
リツイート 赤松義村 @rangiku monogatari 五百数十年前

 は犬が群れになって駆けるさま、転じて「つむじ風」を現す漢字で、「ひょう」と読む。
 わしの書いた『秘事枕』にも「ぬす人の呪い(まじない)にハ、符をかく。」という記事を載せておるぞ。
リツイート 赤松義村 @rangiku monogatari 五百数十年前

 わしの『秘事枕』には他にも

 「おもふ人を恋しくバ、あまがいる(雨蛙)に名を書て、其おもふ人の戸の口に入るべし、必(ず)出来るぞ。」
 「おもふ女恋敷バ、あり原と書、狐のほこらへ入る。」
 「犬きびしくおそひなば、五ツのゆびの内四ツのゆびを、未申酉戌と四本の指をしかとおさへ、戌にむくべし、退くべし。」

 というまじないも載せているぞ。
リツイート 赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 曽祖父様は修験道に熱中した管領、細川政元殿の姉君の養子ですから、何となく効きそうな気がしますが・・・。
 飯縄の法はあなたの命と家を損なうおそれがありますので、はまりすぎに注意しましょう。
 修行のやり過ぎはあなたにとって暗殺の危険性を高めます。
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 今の鳥居は「天」という字をかたどっています。延喜式(えんぎしき:平安時代の法令集)には「不葺御門(ふかずのみかど)」と書かれてます。

 (今の鳥居といふハ天の字を形る。延喜式ふかずの御門。)
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 前九年の役で活躍した源頼義の旗印は二股の大根です。

 (源頼義の籏紋ハ二また大根。)
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 志深道辻社(志深道辻祠)は、赤松貞範公が貞和元年(1345年)に飾磨から移しました。
 社では男女の縁結びの祭りが行われています。男女のあそこの形の物を作り、神前に供えます。

 (志深道辻社 赤松貞範貞和元年二月十日しかまよりうつす。男女のゑんむすびの祭也。男女の陰陽形を作り、神前にそなふ。)
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 神に仕える女性「かんなぎ」の語源は「かんなみこ」。
 かんなみこ、かんなみこ、かんなみ、かんなみ、かんなみ、かんなみ、かんなぎ。
 ほらね!

 (かんなぎ かんなミこ なぎ なミ)
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 恐ろしいものは、
 近くの怪火 野衾 見越し入道の出る道 引留め 送り狼 人買い 闇討ち 嫁の密通相手 占いの嘘 あつさの嘘 刀でお手玉をする曲芸 戦での槍合わせ 八挺かね 姑の嫁いじめ 主殺しに対する鋸引きの刑 放火に対する火あぶりの刑 巫女の火渡り神事 諏訪湖の御神渡り 鹿島神宮の神事「常陸帯(ひたちおび)」 なべかつぎ。

 (おそろしきもの ちかきあや火 野衾 見こしの道 引留 おゝかみの送り 人かい やミ打 しのび男 卜占のうそ あつさのうそ 刀だま やりあわせ 八挺かね あつ火子にしうとめのよめいじり しうころしののこぎり引 火つけの火あぶり かんなぎの火わたり すわの氷わたり ひたちの帯むすび なべかつぎ)
リツイート 石田三成の軍師 @wisube- 四百数十年前

 「野衾(のぶすま)」ですか?はい、もちろん知ってますよ。え〜っと(ゴソゴソ・・・)あっ、ありました!
 野衾はムササビやモモンガのような姿をしていて、空を飛んで人の目や口を覆ったり、たいまつの灯りを消したりする妖怪でうぃす。

 「見越し入道」は、夜道や坂道の突き当たりを歩いていると僧の姿で突然現れて、見上げれば見上げるほど大きくなる妖怪でうぃす。
 飛び越されると死ぬ、喉を締め上げられるともいいますし、入道を見上げたために後ろに倒れると喉笛を噛み切られるという厄介な妖怪でうぃす。
石田三成の軍師 @wisube- 四百数十年前

 この時代の「送り狼」は、山中などで人の後をつけてきて、隙をみて害を加える狼のことで、妖怪の一種とされることもあるそうでうぃす。

 「なべかつぎ」は、播磨国加東郡で起こっていた妖怪不祥事案件「あれ〜!目の前が急に真っ暗になってもた〜!何か知らんけど頭に鍋をかぶせられたみたいやわ〜」を引き起こす、狸のいたずらだそうでうぃす。
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 大明神は本来「おおあきつかみ」と読みます。

 (大明神 をヽあきつかミとよむ。)
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 爪に爪なく、瓜に爪あり。

 (爪につめなく、ふりに爪あり)
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 腰を折ってかがむので、「拝む」というらしい。

 (腰おりかヾむ、をがむとか。)
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 生きること、老いること、病気になること、死ぬことという人間の四つの苦しみを「四出の山(死出の山)」と言うといいでしょう。

 (生老病死を、四出の山といふがよし。)
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 西の鏡餅は三種の神器を模しているのではないでしょうか。三種の神器とは、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、 八咫鏡(やたのかがみ) です。

 (西のかヾみもちハ三光にかたどるか。神璽、宝剣、内侍所。)
リツイート 赤松義村 @rangiku monogatari 五百数十年前

 わしらが書いている鏡餅はこんな形をしておる。

 つまり、日本の正月の鏡餅は、玉、鏡、その上に剣を置くもので、三種(みくさ)の神宝に例えておる。小もち、平餅、ひの餅(菱餅)という構成じゃ。三種の神宝は智・仁・勇を意味し、日本という国号の由来にも関わっておるらしいぞ。
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 「おのれ」とは己のこと。
 「あなする」は偉そうな言い方です。
 「をの様」は「各様(皆様)」だと思うので、個人に対して使ってはなりません。

 「俺」というのは横柄です。・・・そんな言葉を使うやつは扇で張り倒せ!張り倒せ!!

 (おのれは己、あなするハ荒言也。をの様は各様か。一人さすまじき。をれは横柄。扇にてはるべし はるべし)
・炎上必至の身内ネタ
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 わが赤松家の兵術師・黒川道海は凄いやつです。ある本に「花飄散人風狂軒」と署名したえせ坊主です。その署名を書き写してこの本に載せておきました。

 (当家兵術師黒川道海、さある者、ゑせ入道に渡る。判に遺し、ある記に見ゆ。写置し。 花飄散人風狂軒 花押)
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 赤松は伊豆にはりまをとられじとあしき新二郎嘉吉年中(赤松満祐は同族の伊豆守貞村に播磨の守護職を奪われないよう、嘉吉(かきつ)年間に・・・)
 ん?悪しき新二郎って誰だ??

 (赤松は伊豆にはりまをとられじとあしき新二郎嘉吉年中)
リツイート 足利義教 @6dai syogun 六百年程前

 「赤松は伊豆にはりまをとられじと公方(わしのことじゃ!)の首を嘉吉(掻きつ)元年」じゃないのか?
 おのれ!満祐〜〜!!
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 志水氏はもとは清水氏でしたが、将軍がのどの渇きを訴えた際に水を献上し、その褒美として改名していただいきました。

 (志水氏、将軍家渇水時水を捧し功とて、清水を改下さる。)
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 四天王という馬鹿馬鹿しい者がいます。源頼光の四天王。木曽義仲の四天王。当家の四天王。

 (四天王とておこがましき者あり。頼光朝臣の。木曽氏の。当家。)
リツイート 得平定阿 @sekishoki no sakusya 四百五十年程前

 大江山の鬼退治で有名な源頼光の四天王といえば、渡辺綱、坂田公時(金太郎)、碓井貞光、卜部季武。
 源平の合戦の木曽義仲の四天王といえば、今井兼平、樋口兼光、根井行親、楯親忠という剛勇ぞろい。
 当家の四天王とはどなたでしょうかね?
 赤松円心公の4人の子、範資公、貞範公、則祐公、氏範公のことだったら「おこがましい」は謙遜ですね。
リツイート 龍造寺隆信 @hizen no kuma 四百五十年程前

 いやいや、則房殿の家臣にも四天王を名乗る武将が5人いたのかもしれんぞ。
 誰も知らない四天王・・・。これは自虐だな。
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 えろいことが大好きな女は30歳くらい。藤井の「小松」、高尾の「身なし」、恒屋の家執、松原の娘「その」、今は40歳くらいになった「野ふし」、佐用氏を取り仕切る「和泉」、「伏しば」37歳、高尾の「野沢」は法師殺し、「うきふし」は山伏殺し40歳。
 三宅の「小藤」は見越し女という。

 (多淫の女は三十歳余。藤井の小松 高尾身なし つねや家執 松原女その女。野ふしと名付る今四十余才。佐用家執女和泉と申ハ(欠損)。伏しばという三十七才。高尾の野沢ハほうしころし。同うきふしハ山伏ころし四十才。三宅の小藤は見越女と云。)
______ 石田三成の軍師 @wisube- 四百数十年前

 見越し女というのは先のことまで見通せる「賢い女性」でうぃすかねえ?それとも、「妖怪見越し入道みたいな大女」でうぃすかねえ?

 それにしてもこの人、酷いことばかり書いてますが、大丈夫なんでしょうか?
 きっと余計なことまで書かせてしまう妖怪が憑りついているんでうぃすね。
 あ、間違いなぁ〜い〜!
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 赤松三尺入道というのは、妻鹿(めが)孫三郎のことです。彼は大変な力持ちです。書を書くときには木庭という所にある「小芝の井」という名水を汲んで硯の水としていました。

 (赤松三尺入道とは、妻鹿孫三郎。大力なり。木にハ小芝の井といふ名水をくミて、手書の硯水とす。)
______ 得平定阿 @sekishoki no sakusya 四百五十年程前

 赤松三尺入道というのは、怪人「大わっぱ」を退治した性松(赤松義則)様のことでは?
______ 足利義教 @6dai syogun 六百年程前

 赤松三尺入道は満祐のことじゃないのか?
______ 小島法師 @taiheiki no sakusyakamo 六〜七百年前

 まさかとは思うが、妻鹿孫三郎って、太平記に出てくる妻鹿長宗のことじゃないだろうな?
 太平記の妻鹿長宗といえば、騎馬武者を片手でつかんで投げ飛ばしたり、小柄な武士を肩に乗せて堀を渡って柵を破壊したりする怪力キャラだぞ!身長が90cmだったら設定が崩れるじゃないか!俺の作品がぶち壊しだ!どうしてくれる!
______ 赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 知るか!そんなこと!
 それよりお前!「俺」とかいったな!!
 「俺」なんて言葉を使うやつは、この扇でこうしてくれるっ!
______ 小早川隆景 @terumotono konjyo tatakinaosu 四百数十年前

 あっ、殴った!折檻するとは酷いやつだ!
______ 織田信長 @ashikagakewo moritatemasu 四百数十年前

 しかも扇子で殴りつけるとは・・・。なんてやつだ!
______ 朱元璋 @monjinogoku zessankaisaichu! 六百数十年前

 言葉が気に入らないだけで殴るような人、私、見たことないアル!本当に酷いアル!
______ 足利義教 @6dai syogun 六百年程前

 そうだ!そうだ!それくらいで切れるなんてどこまで無茶苦茶なやつなんだ!
______ 松倉勝家 @minoodori ha tanoshiina! 四百年程前

 あんた、人の痛みのわからん人だね。それでも大名なのか?
______ 森長可 @banninmo hitojichimo kaminotsukaimo minagoroshida! 四百数十年前

 おっ!乱心だ!炎上だ〜!
 ヒャッハ〜〜!!ヒャッハ〜〜〜!!
赤松則房 @kazusanosuke  四百数十年前

 なぜか炎上してしまいましたので、残念ながらこの辺で終わりにしたいと思います。
 またお会いしましょう。
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