風雲児家
 
別荘
河鹿の庵
 Kajika no iori
平成17年5月、成体・飼育開始。 平成24年11月10日死亡。 飼育期間:7年5ヶ月。 
・河鹿蛙、清流に響く美声。(カジカガエルとは?)
・現代版河鹿籠
(夏場の飼育環境) ・我が家での暮らし(日常の世話について)
・冬越しへの挑戦
(試行錯誤、そして冬眠断念)
・小細工(加温飼育に一工夫)・こだわりガエル?ひねくれガエル??
(オマケ) 
・二年目の夏
(経過) ・河鹿の鳴き声について(2種類の鳴き声)
・冬越し(2)
(冬眠に再挑戦)・別れの時 ・カエルツボカビ症のこと(飼育者の義務)
・河鹿蛙、清流に響く美声。 
 カジカガエルという蛙をご存知ですか?
 古くから和歌などに詠まれるなど美声で知られる蛙で、その声は5〜7月ごろにかけて清らかな川の上・中流域などで聴くことができます。
 渓流や鮎釣りをされている方、あるいは谷沿いのキャンプ場などを利用される方なら耳にされたこともあるのではないでしょうか?「ヒュルルルルルル・・・、ホイホイホイホイ・・・・」といった感じで、鹿の鳴き声に似ていることから「河鹿=かじか」と名付けられたといいますが、僕はどちらかと言うと蝉の「ヒグラシ」の鳴き声の方により似ていると感じております。

 声の主、カジカガエルは他の蛙に比べてはるかに平たい体つきで、色は茶色系。川原の石の色に見事に溶け込んで、よほど注意して探さない限りなかなか発見することはできません。ちなみに、アオガエルの仲間ではありますが緑色になることはないそうです。大きさはオスは3〜4cmとアマガエルくらい、メスはかなり大きくて5〜7cmとトノサマガエルくらいの大きさになります。

 私は、前々からこの蛙を飼ってみたいとは思っていたのですが、ずっと方法が分からずにいました。
 水盤と籠を組み合わせた「河鹿籠」なる専用の容器を用いて江戸時代から趣味人によって飼われていたそうだというのは知っていたのですが、、ある日、ネットで現代版にアレンジした河鹿籠の作り方と、それを使った飼育法を詳しく解説しておられる星野さんの記事(all about)を知ったことで、飼育を試みる決心がつきました。
 また、飼育にあたっては、アマガエルやカジカを飼われているhylaさんのSanctuary of KERO!にもお世話になりました。
(この記事の内容についても、お二人の受け売りばかりです。)

 まずは籠を製作しなくてはいけませんが、それは後で述べる事にしましょう。
 肝心の蛙の入手については、星野さんも書かれている通り、生態を知るためにも、自分で獲ってくるべきです。(地域によっては手厚く保護されているところもありますので要確認。またそうでない場所でも持ち帰る数は必要最小限に留めること!
 私は散々石化けの術を食らわされ、ヒュルルと馬鹿にされた挙句、2005年5月の半ば過ぎになってようやく我が家に連れて来ることができました。
 つがいで捕まえはしたものの、2頭も面倒をみる自信が無かったのでメスは解放。千種川水系で捕まえたことから、この流域を本拠地として日本の歴史を動かした英傑、赤松円心の幼名を頂いて「次郎法師丸」と命名したオスが我が家の一員となりました。

・現代版河鹿籠
 夏場はこんな風に飼っていました。
100円ショップで見つけてきたプラスチックのトレイに水を張り、同じところで見つけた目の細かい籠をかぶせただけですが、世話がしやすいように籠の底の部分を少し切り抜き、洗濯用ネットのファスナーの部分を縫い付けています。
 籠の中にはポトスと、川原で拾ってきた石(陸地になり、蛙が座れる安定した石。これが重要!)を入れております。
 総額300円。う〜ん、リーズナブル!!

 中の様子はあまりよく見えないものの、蛙にとってもそれは同じなのでストレスがかからず、風通しもよく、気化熱も使えるので夏場の蒸れには大変弱い河鹿にとって、まさに理にかなった飼育環境だということです。

実際、2005年の猛暑もこの籠とホームセンターで買ったミニ扇風機(880円)の組み合わせで無事に乗り切ることができました。

 ただ、この飼育器具には問題があります。蛙がこの籠に慣れてくると同時に脱走の仕方を覚えてしまい、何度も家族をビックリさせたのです。
 そこで、家にあった15号の円盤オモリを籠の周りに合計6個もぶら下げましたが、なんとそんなもの何とも思わずチョコンと廊下に座っておりました。あんな小さな体で恐るべし、カジカガエル・・・(汗)

 これでは埒が開きません。幸いこれまでは無事だったものの、もし発見が少しでも遅れると乾燥死は免れません。
 そこで、またしても100円ショップに行って、大きな洗濯ネットを買ってきてこのセットを中にスッポリ入れてしまいました。
 毎朝チェックして度々籠の中に戻してやらなければいけませんでしたが、これでまあ一安心です。

・我が家での暮らし
 日々の世話と言っても星野さんが書かれている通り、トレーを傾けて水を入れ換えるだけです。水替えの間隔は毎日〜2日置きですかね。
 ただ、鉢の中や石の上に大きなフンをしていることが多いのでしっかり確認してこまめに取り除いてくださいね。

 そして餌やり。
 基本的に蛙は生きた、動くものしか食べません。これが蛙を飼う上での最大のネックです。
 ペットショップに行けばコオロギミルワーム(栄養バランスが悪く、これだけを与えるのは問題あり)などなど、何種類かの生餌が売られてはいるのですが、私の場合は家が山の上でしたからバッタ天然のコオロギ、それに外灯を点けっぱなしにしておびき寄せた小さな蛾を捕まえて与えることができました。病気療養中で時間があったからこそできたことでもありますが・・・。

 ファスナーを開けて虫を入れると、石の上にどっかりと座っていた法師丸の頭が鋭く動きます。そして、ジワリ、ジワリとにじり寄り、射程に入るやジャンプ一番!何度見ても見事なハンティングです。その獲物が大きかった場合は、両手を使って口の中に掻きこんで、目を閉じながら丸呑みしていきます。
 法師丸の大好物はササキリや小型の蛾。それにカゲロウが獲れれば大喜びで飛びついてくれます。一方、オンブバッタやヒシバッタなどは気に入らないようで、結局一度として食べることはありませんでした。

 蛙というものは人になつくことは無いそうです。慣れてくるとあまり人を怖がらなくなるのが精一杯と思った方がいいでしょう。つまり、他のペットと違ってそっと見守るくらいしかできませんが、よく見ると実に表情豊かで、見飽きることがありません。これは絶対、飼った人にしかわからないと思いますが・・・。
 我が家でも「蛙を飼う!」と言い出したときには家族全員の猛反対を受けましたが、気がつけば籠の前にはいつも祖母が張り付いているという状態になっていました(笑)
 と言っても、上記のように餌の問題があるので、飼育には相当の覚悟がいりますよ。

 また、あまり知られてはいませんがカエルは予想外に寿命が長い生き物です。
 アマガエルは飼育下では15年、ヒキガエルなどは30年以上という記録があるそうです。
 カジカガエルについては詳しくは分かりませんが、何年にも渡って世話をし続ける自信が無いならば手を出すのはやめたほうがいいでしょう。

 河鹿飼育の最大の醍醐味はやっぱり美声が聞けること・・・。なんですが、法師丸はあまり鳴いてくれませんでした。夏まではそれでも一日にどうにかワンコーラスくらいはしてくれたのですが、それ以降はほとんど声を聞かせてくれることはなく、夕立などで豪雨になる直前に突然歌ってくれる程度でした。(これで何度洗濯物が救われたことか^^)
 録音しているほかの河鹿の鳴き声を聞かせるという作戦も効果はありませんでした。声を聞くとしきりに辺りをキョロキョロ見渡し始めるのですが。

・冬越しへの挑戦
 さて、蛙も、飼い主の風雲児も無事なまま、季節は廻って冬がやってきました。
 冬は蛙飼育者にとっては試練の季節でもあります。野生の蛙は当然、冬眠なのですが、この冬眠の環境を再現するのが実に難しいのです。中途半端に暖かければ半冬眠状態で食欲の無いままに体力を消耗。かといってあまりにも寒いのもいけないようですし、蛙自身の体力も大きく成否を分けてしまいます。
 私も、最初は冬眠をさせて乗り切ろうと思っていたのですが、我が家では温度が不安定で、このままでは春までは無理だと思ったので、クリスマスの日に急遽方針を変更しました。

 もともと腐葉土とミズゴケを敷いていたプラケースの下にパネルヒーターを入れ、ゆっくりと加熱していくと、ミズゴケの中で半分寝ていた法師丸がムクムクと起き出してきました。そして寝ぼけ眼でミズゴケの上をのしのしと歩き、一夜明けるとペットボトルの底を切り抜いて作った水場の中に腰を落ち着けてしまったようです。

 しかし、あまりにも水場に篭ってばかりでいて、どうもやり方が間違っているような気がしたので、思い切ってレイアウトを逆転、プラケースの中に水を張り、ペットボトルにミズゴケを詰めて島にしてみました。やがてミズゴケも撤去してポトスと石という夏と同じようなレイアウトで落ち着きました。

 法師丸もこちらの方が気に入っているようですが、しばらくの間は拒食に悩まされました。
 勘が鈍っているのか買ってきてあげたコオロギに飛びかかろうとして鼻先をぶつけて以来、まるで拗ねたかのように頑なに餌をを食べてくれませんでした。これにはかなり心配させられましたが、これは水温を22度地上を20度くらいに保ち、さらに夏場に活躍した洗濯ネットをケースの上にかけてあげることで無事に解決しました。やはり外から丸見えでは落ち着かなかったようですね。

 ただ、しばらくの間は消化があまり上手にできていない様子でしたので、餌をあげる量には気を遣いました。
 水換えはフンをするたびにしてあげましたが、トレーを傾けるだけの夏場と違って多少手間がかかってしまいますね^^

・小細工
・釣り糸とウキゴム(ゴム管)を使って温度計に細工をしてみました。蓋の外側のウキゴムの位置を変えるだけでケース内の様々な深度の温度が測れます (左の画像)

・保温のため、ケースの外側にダンボール製のバック&サイドスクリーンを貼っていますが、これも釣り糸をぐるっと一周回しておいて、ウキゴムに爪楊枝を刺して止めてます。糸を引くだけでぴったりフィットしますし、水換えの際の取り外しもワンタッチ。わずらわしいセロテープのカタも付きません(笑) 透明の細い番手だとあまり目立ちませんし。


・こだわりガエル?ひねくれガエル??(余談)
 やはり普段は程々の距離で生活するのがいいんでしょうね。すっかり安心したのか洗濯ネットをかけてから、夜にネット上のカジカの歌声を聞かせることで法師丸もつられて鳴くようになりました。(夏場には効果なかったのに・・・)
 でも寝ている間に忘れてしまったのかしばらくは後半の甲高い「ホイホイホイ」しか歌えず、しかもものすごく音痴でしたが、一月近くかかってようやく全曲を思い出してくれたようです。
 今では電気を消して5分ほど経った後や、水換えをした後などに鳴いてくれてます。

 しかしこのカエル、他のカエルの声の録音につられて鳴き出すのは分かるのですが、管理人が嵌っている旧ソ連の反骨の作曲家、ショスタコーヴィチの作品にもなぜか反応するんです。植物の育成にも使われるモーツァルトやバッハなどには全く反応しないくせに、とにかくダークでひねくれて、ロックが裸足で逃げ出すような凶暴凶悪なショスタコーヴィチの音楽(まあこれは彼の一面に過ぎないけれど)なのかが謎です。
 特にチェロ協奏曲第1番と交響曲第6番でよく鳴いてくれます。
チェロ協奏曲と言ってもやっぱりドヴォルザークのでは鳴かないようです。第6番に至ってはバルシャイ指揮の交響曲全集盤では鳴くのにも関わらず、コンドラシン指揮の全集盤や来日盤、ロジェストヴェンスキーの指揮では鳴かないというのが何とも・・・。ムラヴィンスキー盤が手に入ったので今度の冬は試してみよう。
お主、クラシックには相当うるさいのか?それとも飼い主に似てひねくれているだけなのか??(笑)

<注:音楽はできるだけ小さな音で流しております。またこれらの曲で全ての蛙が鳴くわけではありません。いや、鳴くのはきっとひねくれもののコイツだけでしょう^^>

・二年目の夏
 で、無事に冬越し成功しました!
 5月に入ったので気温が上がりすぎないうちに再び河鹿籠へ引越しです。自分の部屋の片隅から玄関へ。ルームメイトが居なくなるとちょっと寂しいですけどね。
 今年もまた家族全員に玄関の籠の回りにへばりつかれながらも、法師丸は我関せず。マイペースでお気に入りのポトスの鉢の中で食っちゃ寝の生活を送っております。連日35度の季節もまた扇風機で乗り切ってます。我が家で一番涼しい場所はどうやら気化熱で冷やされた河鹿籠の中。羨ましい・・・

・河鹿の鳴き声について
 私は以前、コーラスの後半のしか歌えず・・・と書いているように、カジカガエルの鳴き声は「ヒュルルルルルル・・・、ホイホイホイホイ・・・・」が一セットであるとずっと思い込んでいました。
 しかしこちらの研究動物行動の映像データベースより)によるとカジカガエルは縄張りを宣言する「広告鳴き」と、「攻撃鳴き」と言って他のオスと鳴き交わすことで優劣を競う鳴き方の二つを使い分けているそうです。つまり「ヒュルルルルルル」が広告鳴き、「ホイホイホイホイ」が攻撃鳴きとのこと。と言うことは音楽に対して戦いを挑んでいたのでしょうか??
 それでもやはり思い出したように鳴いていた夏の間の法師丸の声を聞いていても、2つで1曲として歌っているようにしか思えませんでしたけど・・・。


・冬越し(2)
 2006年の秋は異常に暖かく、餌になる昆虫も随分遅くまで捕れたので河鹿籠の中身をプラスチックケースに移しただけの環境で飼っていましたが、さすがに12月に入って温度も下がってきましたので冬眠を。

 去年は試行錯誤したものの不完全に終わった冬眠。今年はタイムリーにアップされた星野さんの河鹿籠の冬という記事を参考にして本格的な冬眠をさせてみようと資材集めに河鹿の生息地へ向かいました。

 記事に従ってプラケースによく洗った川の砂や礫(れき)を敷き、水中に有った広葉樹の枯葉を入れ(混ざっている松葉などは取り除いた方がよさそう)、小石を配置。流れの速いところに沈んでいた流木もノコギリで適当な大きさにカットして入れました。
これに水を注ぎ、河鹿を入れ、しばらく様子を見てから温度のあまり上がらない洗面所の流しの下のスペースにでも入れてみようと思っています。

 夏の間から餌はしっかり食べさせてきたし、体力はありそうです。ただ、流しの下でも昼間は15度程度にまで上がってしまうことも多いことからまた半冬眠になってしまわないかが気がかりです。
 それと大き目の水槽を用意できず、プラケースを使っているので水の汚れも心配になります。静かに小まめに水替えをしてやろうとは思っていますが(水替えは灯油用ポンプ(もちろん新品)が便利でした)

 今年も試行錯誤の冬、どうなることでしょうか。まあ、一月ほど眠らせて、後はまた去年のように加温して育てるのも手かもしれませんね・・・なんて冬眠導入期に言ってたら、2006〜7年の冬は記録的な暖冬、まさにその通りになってしまいました。
 仕方がないので一月で切り上げて、結局レイアウトを変え、加温しての冬越しでした。早い時期から外灯で蛾が捕れるのは嬉しかったけど・・・。

 3年目は河鹿籠への引越しは例年通り、渓流から声が聞こえてくるのを確認してから5月初頭に。そして10月半ばにまたプラケースへ。
冬越しはこれまでのことを踏まえて、年内いっぱい加温して餌をしっかり食わせ、気温が充分に下がりきった1月に徐々に温度を下げていって冬眠に持ち込ませました。レイアウトは冬眠専用のものではなく、通常のプラケースでの加温飼育のもののままでしたが、ポトスの葉とケースの壁の間で2ヶ月間寝て過ごしていました。

 3月に入ると一気に気温が上がってしまい、我が家でのこれ以上の冬眠続行は不可能だと感じたので再びゆっくり加温。今シーズンもGW後半まではプラケース、夏はまた河鹿籠という飼い方です。
 石ごと手のひらに乗せられた状態でも、もう片方の手でエサを摘まんで持っていくと何の躊躇も無くパクつくまでに、飼い主にも、我が家にもすっかり馴染んでしまいましたが、そのせいなのか、もしかすると年齢のせいなのか、全く鳴いてくれない今シーズンの法師丸です。

・別れの時
 飼育開始から8シーズン目となった2012年の春、冬眠状態から目覚めた法師丸の体に変調が認められました。右目が白く濁り始めたのです。
 この白内障?のせいで右目の視力はほとんど無くなってしまい、エサをなかなか捕えられなくなりました。
 さらに悪いことには、あれほど慣れていたのが嘘のように、私を恐れるようになり、ケージに手を突っ込もうものならパニック状態になりますし、ピンセットを介しての餌やりも受け付けなくなってしまいました。
 そして、法師丸の体は、ゆっくりとですが確実に痩せ衰えていきました。

 この状況についてカエル飼育の師匠である、Sanctuary of KERO!の管理人、hylaさんに掲示板で質問したところ、
 「(飼育年数)10年に近いカエルは、アマガエル、シュレーゲルアオガエル、モリアオガエル、みんなこの症状が現れました。
特にモリアオガエルは、症状が進んで片目が腐り落ちてしまい、カエルはものを飲み込む時に眼球で押し込むので、食べるときに辛そうな状態になってました。しかしその後、驚いたことに、小さな目が再生してきました。この目は見えるまでには至りませんでしたが、物を飲み込む役には立っていたようです。でも、このモリアオもシュレも、暑かった一昨年の夏に、生後10年で世を去りました。
アマガエルはもう白内障になって5年くらい経ちますが、まだ元気に頑張っており、この6月で飼育開始後まる12年です。
結論としましては、白内障は老化によるものと思われますが、それ自体は直接の死因とはならないようです。」
 というアドバイスをいただきました。

 また、島根県にある水族館「ゴビウス」を訪れた際に、学芸員の方に質問したところ、休暇中のカエルの担当の方に電話をしてくださり、
 「この施設にもそういうカエルはいますが、長期間元気に飼育できています。
餌やりの方法として、カエルが餌を見つけやすいよう、ケージの底に白い物を敷き、コオロギなどの黒っぽい餌を与える方法や、ピンセットから餌を取るのであれば、カメの餌などの匂いの強いものを目の前にちらつかせて、匂いで誘うという方法があります。」
 と、丁寧に教えてくださいました。

 こうしてなんとか夏を乗り切り、秋も深まってきました。
 今シーズンはの冬眠はさすがに不可能だろうから、そろそろ加温して・・・と思っていた2012年11月10日、高知遠征から帰ってきた私を待っていたのは、プラケースの水中に、手足を伸ばして横たわる、小さな家族の亡骸でした。
 採集してきたオカメコオロギなどを細々と食べていましたし、死因は餓死ではなさそうです。消化不良を起こしたのか、老衰なのか、それとも別の病気だったのか・・・。

 飼育開始から7年5か月。捕まえた時にはすでに成体でしたから、それ以前に最低2年+α。
 これまでで唯一の飼育したカエルとの付き合いがここまで長いものになるとは、こんなにも長い時間一緒に居ることができたとは・・・。
 ずっと傍にいてくれた相棒に、ただ「ありがとう」と言いたいです。


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