風雲児  烈風伝 九州縦断!釣りと歴史の旅
       2008 
             第四章 (4/4)
10月13日〜15日 阿久根〜菊池〜吉野ヶ里
             〜久留米〜兵庫県

雨は降る降る じんばはぬれる
   こすにこされぬ 田原坂
 右手に血刀 左手に手綱
      馬上ゆたかに 美少年 
・阿久根から八代へ。そして田原坂、菊池神社。
4時ごろ阿久根港でかまちゃんと別れた後、この日の宿泊地・八代を目指しました。
その距離わずかに80キロ。道中に点在する河口でメッキを目当てにルアーを投げながらゆっくり国道三号線を北上です。
その道中・・・。
  ・米ノ津川河口(鹿児島県出水市) 本スズキ(セイゴ) 15cm 1尾
  ・物産館の裏 (熊本県水俣市)  ヒラスズキ(セイゴ) 20cm 1尾
  ・湯浦川下流域(熊本県芦北町)  撃沈
 八代で一泊した後、14日夜明け前に起き出して、雨の振る中、
  ・八代港    (熊本県八代市)  アカカマス      15cm 1尾
う〜ん、何とも悲しい釣果ですなあ。仕方ない、気を取り直して南北朝好きとしてはぜひとも行ってみたかった菊池市へと出発しますか。

八代ICから九州道に乗って植木ICで下りたところで見かけた看板に釣られて急遽寄り道決定。
植木市内の酷い信号渋滞に後悔の念を覚えながらどうにか到着した場所は、わが国最後の内戦・西南戦争での最大の激戦地、田原坂(たばるざか)です。
復元された銃創だらけの土蔵や、凄まじい激戦ぶりを物語る、両軍の銃弾が空中で正面衝突してできた「かち合い弾」などが展示された資料館を見学し、ジオラマと実際の景色を見比べて思いを馳せていました。

九州全土を切り従えた名将、菊池武光騎馬像
そしていよいよ菊池へ。雨もすっかり上がっています。
南北朝時代、南朝の旗の下に九州をほぼ統一し、明王朝からも日本国王として交易を認められた後醍醐天皇の皇子、征西将軍宮・懐良親王(かねよししんのう)
その征西府の柱石として鬼神のごとき奮戦をした名将・菊池武光の本拠地こそ、この菊池市です。
そこで出迎えてくれたのはあまりにも巨大な騎馬像。この迫力、銅像の中でも特に傑作とされているのは当然ですなあ。

そして騎馬像の裏手、菊池一族を祀る菊池神社を訪れ、資料館で日本の槍の元祖とされる菊池槍や、大日本帝国憲法の参考にもされたという家憲など貴重な文化財を見学した後、銅像の横にあった物産館で買った熊本名物「いきなり団子」と「からし蓮根」を摘まみながら、菊池武光が生涯最大の激戦を行った筑後川へと車を進めていったのです。

・筑紫平野で九州限定のタナゴ釣り。
九州遠征と言えば、ほとんどの人が「豪快な荒海での大物との大勝負」を想像することでしょうが、実は「のどかな田園風景の中での小物釣り」も魅力的なもの。
特に筑後川流域の平野は、縦横に走ったクリーク(用水路)がカゼトゲタナゴ・セボシタビラ・アリアケギバチ・ヒナモロコといった九州にしか産しない魚を育む淡水魚マニア垂涎の地。
今日はこの中の3種、特にタナゴ2種との出会いを求めてクリークめぐりです。(久留米市指定の天然記念物であるヒナモロコはもちろん対象外)

まずは、久留米市街から筑後川を越えて、宮ノ陣という地区に進出。
ここは筑後川(大保原)の合戦の時の懐良親王の本陣があった場所かな?地図を見て名前に惹かれました(笑)
しかしここでは兵庫でもありふれたイトモロコの猛攻のみ。
すぐに見切って、どうせ道も分からないので辺りの田園地帯の中を適当に縦横に走ってポイントを探します。
そこで見つけたのが、なかなか綺麗な水の用水路が直角に折れ曲がるスポット。
水中には水草が生い茂っていい感じです。

九州北部のみに分布するカゼトゲタナゴ
      (筑後川発見館 くるめウス にて。)
タナゴ釣りと言えば粋を凝らした小継ぎの短い専用竿を使い、イラ蛾の繭を割った「玉虫」というエサで釣るように書かれていることが多いとおもいますが、釣趣を無視するならば有り合わせでも充分。
4.5mのハエ竿を伸ばしきらずに穂先から数節だけ使い、矢引きほどのの長さの仕掛けには、親ウキとしてサヨリ釣りの仕掛けに使うようなカラフルなシモリを一つと、ウキに出ないアタリを読むための糸ウキの代用に1.5号くらいの磯用のウキ止め糸を数個セット。
それに極小タナゴ針を結んで、後はオモリを適宜。エサは卵の黄身と小麦粉を練った「黄身練り」がいいのですが、長旅の途中ということもありこの日はサシ虫をハサミで細かく切り刻んで使用しました。

水面にはメダカの群れ。地元では意外と出会えない魚ですので試みにエサと針だけを水面に置いてみると、まさに一発で針掛かりでした。
写真を撮ってリリースし、今度は仕掛けを水草の際、底スレスレに入れて流し釣り。
何投も何投も、随分と苦戦の末やっと食わせた魚はタナゴではなく小さなフナですかあ。

そしてまた転進です。タナゴ類は基本的に詳細な釣り場の情報など出回らせないのがルールですので、ポイントはひたすら足で探すしかありません。
県境を越え、この日の宿泊地である吉野ヶ里温泉に向けて移動しながら良さそうな水路があれば車を停めて覗き込み、竿を出してみますがタナゴたちには思うようには出会えません。
やがて時刻も4時を回り、残り時間もあと僅か。これが最後かもと思って立ち寄った、とあるクリークの曲がり角を覗くとそこにはフナやオイカワに混じってタナゴも群れています。しかもこのシルエットはバラタナゴかカゼトゲタナゴだ!
勿論すぐに仕掛けを投入です。次々と針掛かりする小ブナ、豆マゴイ、オイカワ、イトモロコ、モツゴ、そしてメダカにカダヤシ。
水際に落としたヘラ釣り用グルテンの撒き餌には狙いのタナゴ達もしっかり集まっているのですが、かなり小さい上にエサが合っていないのかどうやっても食わせることが出来ません。

ふと気付くと広大な佐賀平野の地平線の向こう、太陽がいままさに沈もうとしていました。
地平線へと沈む太陽なんて以前に北海道を旅したときですら見たこと無かっただけに本当に感動です。ああ、来てよかったなあ〜。
しかし、これでタイムアップです。タナゴ類は地元・播磨地方でもありふれたカネヒラしか食わせることができないまま。
最終日は吉野ヶ里遺跡でも見に行こうかと思っていましたが、カゼトゲタナゴかもしれない魚を確認しながらどうしても手にできなかった悔しさから予定を変更。夜明け前に起き出して前日のポイントに入り、釣りを続行しました。
しかし昨夜のうちに手に入れたチューブ入りの練り餌投入も不発。
思い切って替えたポイントでもモツゴの猛攻のみで結局撃沈。11時ごろ、涙を飲んで納竿としました。
やはりどこかで卵と小麦粉を買ってきて、ビジネスホテルの客室で無理やり黄身練りを作るべきだったかなあ・・・。

・久留米探訪、そして旅の終わり。
さて、九州道久留米インターを目指すとしますか。・・・と言いつつまだまだ寄り道です。
久留米といえば21万石、有馬氏の城下町。その有馬氏と言うのは故郷・播磨国などに君臨した大大名・赤松氏の支族なのです。
久留米城本丸跡の有馬記念館に播磨時代からのお宝は・・・ あれっ?
残念ながら明治維新の時に幕府方だったため古いものは処分され、系図くらいしか残ってないそうです。
展示されている道具類は幕末期のものや、競馬の有馬記念にその名を残す有馬頼寧氏のものが中心でしたが、どれもこれも息を飲むほどの逸品ばかり。
職員の方も大変に詳しく解説をしてくださり、素晴らしく有意義に過ごすことができました。

そして最後に、筑後川を解説したおしゃれな施設「筑後川発見館 くるめウス」に立ち寄り、ミニ水族館コーナーで手にすることのできなかった淡水魚たちに挨拶をしてから九州道へと入り、数箇所のサービスエリアで眠りこけつつ自宅まで520数kmの道のりを走破、1週間にわたる長旅を終えたのです。

九州初挑戦(本当は物心付く前に来たことがあるそうですが・・・)にして、いきなりのマニアックルート。おかげで素顔の九州を満喫できた気がします。
一方、釣りはほとんど撃沈だったし、遣り残したことばかりの旅でもありました。
いつか、また来なきゃなりませぬ!
        さらば筑後川!さらば九州!!

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