風雲児  烈風伝
    ・憧れの魚に会いに行く。
          北陸のタナゴ釣り&歴史旅

2012年 6月15〜16日  石川県加賀地方 他 〜 安宅の関跡 〜 福井県一乗谷朝倉氏遺跡
・今回は川釣り!
 我が家から片道5時間、今回は石川県の加賀地方とその周辺にやってきました。
 ターゲットは大きくても10cmほどにしかならない「とある淡水魚」です。しかも釣った魚は食べるでもなく、持ち帰って飼育するでもなく、写真を撮ったらその場で全てリリースするのみ。

 構想4年、春〜夏の北陸遠征。
 遠征先の田植えにともなう泥濁りを懸念しているうちに梅雨に入り、釣れもしない「梅雨グレ」の4文字に惑わされているうちに梅雨後期の豪雨に見舞われ、遠征の決意を文字通り「水に流される」うちに季節が巡り、ふと気づいた時には、対象魚は煌びやかな花婿衣装(婚姻色)を既に脱ぎ捨てている・・・というのが恒例行事になっていたこの計画が、今回になってようやく実現した要因は、未だ継続中の四国南西部のグレの不調に他ありません。

 ターゲットの名を「ミナミアカヒレタビラ」と言います。
 
 ミナミアカヒレタビラは多彩で美しいオスの婚姻色と、生きた二枚貝の中に産卵する変わった生態で知られるコイ科の淡水魚・タナゴ類の一員である「タビラ」の亜種で、繁殖期のオスの体は華やかな青緑色やピンク、黒で彩られ、尻鰭の多くの部分はその名の通り赤というか、ピンクに染まります。

 この魚は現在、北陸3県と鳥取・島根だけに分布していますが、山陰の個体は釣りの対象にはなりません。
島根県では「島根県希少野生動植物の保護に関する条例」に基づいて捕獲等が禁止されており、違反した場合には1年以下の懲役又は50万円以下の罰金が科されるということですし、鳥取県でも同様だそうですから。
 一方、北陸の個体群は、今のところまだ竿と釣り糸を介して向き合うことができるようです。

 ただし・・・

 水域ごとに独自の進化を遂げている淡水魚にとって、ポイント等の公開は大変な脅威です。彼らにとって書き手は疫病神のような存在です。釣行記に限らず、情報を発信する際には細心の注意が必要です。不用意な記事によって彼らの存在が危機に瀕することも有り得るからです。ポイントを選定するためには「特殊な選定術」を用います。それについては極秘事項のため紹介することは出来ませんが、今回も無事、釣り場への潜入に成功しました。

 まあ、タイムスクープハンターの要潤風に「特殊な選定術」なんて言ってみても、結局は経験と勘と地図を頼りにひたすら足で稼ぐということなんですけどね。

・捜索開始!
今回釣れまくったヌマチチブ(ハゼ科)
 午前5時過ぎ、平野部の湖沼(北陸地方では「潟」と称される)のヨシ際で、貪欲で気の荒いハゼ・ヌマチチブを数匹と、関東で梅雨時期の釣り物として人気の高いテナガエビをヒットさせたのを皮切りに、その後は各所の小河川や用水路等を次々と攻めていきました。
が、釣れて来るのはこの地方には非常に多いタモロコと、相変わらずのヌマチチブばかり。
とあるヨシ際では本命では?と思われる魚を掛ける所まで行ったのですが、ハリ外れで確認すること叶わず。無念!

 そうそう、仕掛けについて書いておりませんでした。

 タナゴ釣りは江戸時代には庶民から大名までが熱中した釣りで、粋の結晶ともいうべき専用竿を作らせたとか、道糸は美しい処女の髪の毛でなくてはならぬとかいう話が伝わっています。
 また、その流れを汲む現代のタナゴ釣り師たちも、それぞれに様々なこだわりを持って非常にディープな世界を楽しんでおられます。ネット上に点在する専門サイトを見ると分かるように。

 が、今私がやっている釣りは、『釣魚不全』さんの影響を大きく受けながらも、その管理人さんをはじめとする、洗練された正統派のタナゴ釣り師たちの対極に位置する大雑把で、無粋で、泥臭い釣りです。
 仕掛けの全長1.2mに対して竿の長さは4.5m。安物の振り出しハエ竿から必要な長さだけを引き出して使用しています。
 道糸は0.4号。これに親ウキとして、サヨリ釣りに使う流線シモリを通して雑草の茎で固定。その下には親ウキには現れないアタリを取るための「糸ウキ」を通すべき所を、7個結んだ蛍光色の「ウィリー」で代用していますし、専門の釣り師なら顕微鏡を使って研ぎ上げるはずのハリも、糸付きで売られているがまかつの「極小」というのをそのまま使用しています。
 この仕掛けに8号のガン球を一つ打って、竿の操作と空中のライン操作で沈む親ウキを水面直下にキープしながらアタリを拾っていくという釣り。いわば磯の沈め探り釣りと渓流釣りを組み合わせたような釣りですので、それぞれの釣りの経験がそのまま生かせますし、この釣りの経験がそれぞれの釣りにも生かせます。
 こんなタナゴ釣りは邪道?いえいえ、釣りには「非道な釣り」はあっても、「邪道な釣り」なんてものはありません。

 餌はタナゴ釣りの定番である「黄身練り」(卵黄と小麦粉を練ったもの。専用の器具もあるが、小分けしてレジ袋の角部分に詰め、輪ゴムでくくって持参するのが楽。ハリで袋に小穴を開け、そこから搾り出して小さく付けるとよい。)と、通し刺しにしたりハサミで小さくカットしたりとオールマイティーに使えて保管も楽な「サバ虫」を用意しています。
中国からの移入魚
タイリクバラタナゴ

 黄身練りはやはりタナゴに特化した餌で、他魚が比較的反応しない中で、タイリクバラタナゴだけが猛烈にアタックしてきました。
 午前8時ごろ発見した、頑張れば飛び越せるか?というくらいの幅の水路に田んぼからの排水がチョロチョロと流れ込んでくるポイントでは、マッディーな水質で魚影は確認できないものの、4〜5cmのタイリクバラタナゴがしばらくの間、連発しました。
 整備された圃場の中央を流れる、幅1.5m、水深50cm程度の用水路でも同様で、二枚貝の周辺?に無警戒で群れている団子状のタイリクバラタナゴに黄身練りを流すと、先を争うようにして次々とハリ掛かりしてきました。

 一方、サバ虫の方にはタイリクバラタナゴは食いつかず、オイカワ、タモロコが入れ食いです。ですが、山陽・山陰ではうるさいほどに掛かってくるカワムツが全く見られないなど、魚の顔ぶれの違いに非常な新鮮さを覚えます。

 淡水の小物釣りは「ディープな旅のツール」。
 竿を出すという行為によって、地方ごと、水系ごとに顔ぶれを変える魚たちを通して、また、人々の暮らしぶりを映し出す水辺の環境を通して、その地方のことをより深く知ることができるのです。

・ついに発見!
 時間はすでに午後2時。
 スタートから9時間を経過しても、本命魚・ミナミアカヒレタビラには未だ辿り着けていませんでした。
この時点で相当数のポイントを回っておりますが、単に「タナゴ類」のいそうな場所を虱潰しにするようなローラー作戦じゃダメだ。

 狙いのミナミアカヒレタビラは「タビラ」の1亜種。濃尾平野から岡山県にかけて分布するシロヒレタビラも「タビラ」の1亜種。
そこで私は、これまでにシロヒレタビラを釣ったことのある地元兵庫や岡山のポイントのことを思い浮かべ、流速がやや速く、水質が比較的クリアなポイントを重点的に探してみることに決めました。
この画像では分からないけど口が大きく、サバ虫くらい
余裕で丸呑みにするウキゴリ4.5cm(上)と、
実は9cmもあるトウヨシノボリ(下)
 で、見つけたのが幅1.5m足らずの水路です。
 その水路には段差があって、水深1mほどの落ち口の中層には4〜5cmの細長い小魚が無数に群がっていますし、それを狙ってかニゴイやナマズも数匹ウロウロとしています。

 黄身練りを流し込んでみると、盛んに反応があるものの食い込まなかったため、サバ虫にチェンジ。すると一見ドジョウのように見えるハゼの幼魚がいくらでもヒットしてきました。
 中層に群れていた細長い小魚は、「ウキゴリ」の幼魚だったのです。
 あの4〜5cmしかないスリムな小魚が、驚くべきことに通し刺しのサバ虫を丸々1個頬張って次々と上がってくるのです。
 この他にはヌマチチブと、青みの強い9cmほどのヨシノボリが底で食うのですが、それらのハゼ類以外は当たりませんでした。
 もしかして水流が激しすぎるのか?

 そこで同じ水路の少し下流に移動し、仕掛けを流しながらの竿の伸縮という、4.5m振り出し竿ならではの対応力を活かして、水深40cmほどの流れの中を長い線で攻めていくと、やがて小さなフナのような体型の魚が水中に沈んだ石の影で、通過したサバ虫をくわえて反転する様子が見えました。
 手首を素早く返して跳ね上げ、手元まで飛ばしてきた5cm半ほどの銀色の魚。その肩口には小斑、体の後半部には青緑色の縦帯が入り、尻鰭前方からは産卵管が長々と伸びています。
やった!本命・ミナミアカヒレタビラのメスだ!

本命!ミナミアカヒレタビラ。長い産卵管が写っていないのが残念。
アカヒレタビラやキタノアカヒレタビラとの判別法が分からなかった
ため、産地をもってミナミアカヒレタビラと判断しております。
(ええのか、それで・・・)
 その後、黄身練りでもミナミアカヒレタビラのメスを追加し、意気揚々と場所移動。最後のポイントでオイカワ祭りを楽しんだところで体力が尽き、4時半に納竿としました。
 気温30度近い中、携帯電話付属の歩数計で1万7千歩、歩行距離10.5km。これで本命ボウズじゃなくてよかったなあ。

・焼き鳥三昧♪
 この日の宿泊地は石川県小松市でした。
 立ち寄り温泉で汗を流してから、地元の人気店「やきとり民宿哲代」に出向いて晩御飯です。(本当は宿泊したかったのですが、残念ながら満室だったため、ボロビジネスホテル泊。)
 安くて旨い焼き鳥を黙々と食べていると、注文していた「さわらのとろ丼」が出てきました。
 おっ、丼にカジキ(地方名:サワラ)の刺身が乗っているぞ!おっ、醤油が愛媛や枕崎のものよりもさらに甘いぞ!と、魚屋勤めだったころから愛読している漫画『築地魚河岸三代目』で読んだ通りの、この地方独自の食文化を満喫。
 結局この「さわらのとろ丼」と焼き鳥各種15本を平らげて、お勘定はなんと1600円♪ここぞとばかりに思い切り食べ過ぎたけど、久々の焼き鳥は旨かった〜。

・ちょっと寄り道。 〜芸術のふるさとへ〜
  雨の中の義経と弁慶。
 翌日は雨、しかも豪雨の予報でしたからゆっくりと寝て観光して帰ろうと思っていたのですが、5時前に眼を覚ますと雨はそれほど降っていない様子。
で、ボロビジネスホテルを急遽出発。せっかくここまで来たんだし、釣りに行かねば!
 ただし、釣り場に行く前に少々寄り道を。

 『弁慶是(これ)を聞きて、「抑(そもそ)も此(この)中にこそ九郎判官よと、名を指して宣(のたま)へ」と申しければ、「あの舳(みよし)に村千鳥の摺の衣(むらちどりのすりのころも:千鳥の群れの絵柄を染めた衣服)召したるこそ怪しく思ひ奉(たてまつ)れ」と申しければ、弁慶、「あれは加賀の白山より連れたりし御坊なり。あの御坊故(ゆえ)に所々にて、人々に怪しめらるるこそ詮(せん)なけれ」と言ひけれども、返事もせで打俯(うちうつむ)きて居(い)(たま)ひたり。弁慶腹立ちたる姿になりて、走り寄りて舟端を踏まへて、御腕を掴んで肩に引懸けて、濱(はま)に走り上り、砂の上にがはと投げ捨てて、腰なる扇抜き出し、痛はしげもなく続け打ちに散々にぞ打ちたりける。見る人目も当てられざりけり。』(義経記)

 創作が創作を育て、後の世に『勧進帳』の舞台とされた「安宅関(あたかのせき)跡」を訪れて、歌舞伎役者をモデルにした源義経・弁慶・冨樫左衛門の像を見物してきました。
 本当は、白髪を黒く染めて出陣した斎藤実盛が木曽義仲勢に討たれるという名場面が『平家物語』に描かれている「篠原の古戦場」とかにも行ってみたかったのですが、それでは釣りの時間がなくなってしまいますので、今回は断念して釣り場を目指しました。

・雨中の本命連発!
 合羽を着込んだ私が竿を出しているのは、当然、前日にミナミアカヒレタビラのメス2匹を仕留めた水路です。

 この日も落ち込みではウキゴリとヌマチチブが元気です。
 一方、タナゴは流速が速くなりすぎたためか、ずいぶん下流の深みに身を潜めておりました。
 そこは護岸もコンクリートではないし、底砂が作り出す地形も変化に富んで見るからにベストポイントで、仕掛けを入れると案の定アタリが相次いで、4〜8cmの魚が次々と空中に舞いました。
 釣れてくるのは何と全てが本命魚・ミナミアカヒレタビラです!2時間ほどで軽く15匹超!餌は黄身練りよりも圧倒的にサバ虫、それも1匹掛けにアタリが集中しました。

なんでこんなにメスばかり?
エメラルドグリーンとピンクに彩られたオスの姿は
次回以降のお楽しみ。
 しかしながら、これだけ釣ってもオスが1匹も混じりません。
 川面を覗き込んでみても婚姻色の魚は全く見られず、産卵管を長々と伸張させたメスしかヒットしてきませんでした。
 グレにしろタナゴにしろ、私は何でこうもメスにモテるのでしょう?
人間の女性に全く見向きもされないのを魚たちが慰めてくれているのだろうか?

 どうにかしてオスのミナミアカヒレタビラを釣ってみたかったけど、本日の行程も考えて、雨が強さを増してきた午前9時半に納竿としました。
 心残りではありますが、再戦の大義名分ができましたな^^

・丸ごと掘り出された戦国の城下町へ
 予定には無かった二日目の釣りを終えた私がやってきたのは、北陸自動車道福井インターから車で10分の位置にある谷間でした。
 北陸に行くのなら絶対に訪れようと心に決めていたこの地、越前の戦国大名として5代・約100年にわたって繁栄した朝倉氏の本拠地「一乗谷(いちじょうだに)」です。

 「北ノ京」とまで称されたこの一乗谷の城下町は、5代目の義景が織田信長に敗れた際に放火され、その後、一乗谷川の氾濫で土砂に埋もれてから、本格的発掘が行われた昭和40年代まで眠り続けること約400年。
 つまり戦国時代の城下町がほとんど手付かずのまま、大量の遺物とともに丸ごと掘り出されたという稀有な遺跡なのです。

 戦国時代の遺物といえば、武具や芸術品、文書以外の物は各地の資料館等でも申し訳程度にしか並んでいないという印象が強いです。
 が、一乗谷の入り口に設けられた資料館に行ってみると、当時の武士と庶民の暮らしの全てがそこにある!(と言いたい気分になります)

一乗谷朝倉氏遺跡・朝倉館跡。
土塁内部の平面6,425平方メートルで、
室町幕府の「管領」の館に匹敵するスケールだとか。
中央の茂みは日本最古の花壇の遺構で、
石楠花や牡丹、菊や萩等が植えられていたそうです。
 その膨大な遺物の中には将棋の駒等もあるのですが、その中に現在使われることの無い「酔象(すいぞう)」という駒が含まれているというのは有名な話。
 この「酔象」の成り駒が「太子」で、「王将」の代わりを務められるようになるため、この駒が存在する場合は「王将」「太子」の両方を取らないと対局が終わりません。
 その駒には、大名が首を取られても後継者さえ育っていれば復仇でき、また復仇されるという、戦国時代の気風が反映されているのではないか?という話を、資料館に居られたガイドさんから聞くことができました。
 この一乗谷では発掘・保存によって田畑を買い上げられた農家の方々が「管理組合」を結成して職員になったこともあって、ガイドをしてくださる方が数多く居り、遺跡の要所要所や資料館で多くの人から色々な話を聞くことができるのです。
(南北朝マニアの私は、戦国朝倉氏以外にも越前における斯波高経や新田義貞についての話を聞かせていただき、大満足しておりました。)

 その他にも広大な館跡や見事な庭園、可能な限り当時の手法で復元された町並みなど見所満載で、個人的に思い入れのある吉川元春館跡&周辺史跡(広島県北広島町)に匹敵する満足度でした!
 一乗谷朝倉氏遺跡。歴史ファンでなくても一度訪れてみることをお勧めします!

 さて、そろそろ引き上げです。
 道中、今庄で名物の「おろし蕎麦」で腹ごしらえをしてから木ノ芽峠へ向かいます。
 古来から様々な争乱に関わったこの峻険な難所も、今では国道476号線のトンネル一本であっという間に敦賀へ出られてしまい、少々拍子抜けです。まあ、旧道の山道は凄い状態だそうなんですけどね。
とは言っても敦賀の金ヶ崎城跡は時間と天候の都合でパスとなり、舞鶴経由で帰宅しました。


 とまあ、色々と楽しんできた北陸の2daysでした。
 クーラーにもバケツにも「魚」のお土産はただの1匹も入っていませんが、心の中には詰め込みきれないほどのお土産が入っています。
 こういう旅もいいものですなあ〜。

 釣行記TOPへ