2019年 3月20日 高知県泊浦
・週間予報は酷いもの 「春に3日の晴れ無し」「外仕事の稼ぎが少ないのは梅雨より3月」なんて言いますが、今年の春分の日の前後は1日おきにしっかりした雨が降り、強風は日毎どころか日に何度も方向を変えるという酷すぎる状況でした。不安とストレスが掛かるようになってしまった高速道路の走行を極力避けた経路でも余裕をもって到着できる日程にするために、貯めていた代休をここぞとばかり集中させていたというのに・・・。 波風関係無しの沖の島にはもう行く気も資金もない私の選択肢は2つ。北東のち南東の風が吹く1日だけを狙って泊浦で釣るか、2度目の雨の後にあるかもしれない北西風の1日を待って釣り場の選択肢を広げるか。 泊浦は数も型も絶好調。北西風時の候補・下川口は船長がお客さんに「本当に釣れていないけどそれでもいいなら」と釘を刺すほどの絶不調。 私の場合、釣れるのは考えるまでもなく後者なんでしょうけど、4〜5日後に南西の大波を抑えるほどの北西風が吹いてくれる保証はありませんので、釣行先は撃沈フラグがそそり立つ泊浦。釣りをする日は泊浦や安満地でしか釣りができない状況=泊浦なら確実に釣りができる状況になるであろう20日となりました。 ・佐川経由で大月へ 兵庫を出発したのは19日の夜明け前。天候はしっかりした雨。南風。道中の黒潮町灘や伊田、浮鞭などの海は荒れ狂っていましたが、泊浦方面なら釣りができる海況。実際に渡船も出ていたのですが、前日に職場で結構な力仕事を繰り返したため、夜通し運転できるとも思えず磯釣りは断念。その代わりにある魚を釣るための道具を積み込んで走っています。 その道具を使う前に中部の山中に寄り道、佐川地質館で四国の地質構造や化石の勉強です。しかし長い時間いたにもかかわらず展示内容はほとんど記憶に残ってない・・・。 というのも、館内で話しかけてきてくれた職員の方に「泊浦に釣りに行くんですが、今日はこんな天気なんで寄り道してるんです。」といったが最後、泊浦の近所の出身である職員の方のグレ釣りの話、チヌ突きの話、浦戸湾のアカメ釣りの話、昔の大月町の話、大堂海岸のロッククライミングルートを開拓して発表した時の話、シーカヤックの話などが止まらなくなってしまったから。楽しかったけど、展示はまた改めて見に行かないとなあ。雨脚が強かったため地質館の屋外展示も、近隣の牧野富太郎ふるさと館も見られなかったことだし。 そうだ、急いで釣り場に向かわなければ。 この日釣ろうとしていた魚は汽水域に生息しているハゼ類でした。夏〜冬にはマハゼに圧倒されて影の薄いアシシロハゼをメインに、春を活動のピークにする種など、他魚が姿を消すこの時期にしか釣りにならないと思われる小さなハゼたちを狙ってやろうと思ってトラウトロッドと渓流竿、小バリなどを車に積み込んでいたのです。どうしよう!今上陛下に伺わなければ分からないような南方系の希種が釣れたりしたら・・・なんてワクワクしながらも、「こんな雨の降り方じゃダメだろう。到着時間も4時ごろになりそうだし。」と、実のところは竿を出すのは諦めていました。ところが雨は宿毛市に入ったころで上がり、国道321号線に入ったころには日も差していました。しかも小河川や溝のようなところは泥濁りなのに福良川なら笹濁り程度ではありませんか!これは釣らない理由がない!と1時間ほどやってみましたが、結果は完全丸ボーズ。まあ今回は当然の結果ですな。 さあ、幡多郷にチェックインして明日のために眠ろう。 ・泊浦 ツリサン 布団に入ったのが19時、宿を出たのが5時45分。その間一睡もしてません。私の磯釣り前不眠症は前日3時間睡眠と370kmの運転程度ではどうにもならないレベルにまで達してしまったか・・・。 といっても、宿での夜も家での夜も充分すぎるほど横になり続けていましたから、釣りをするだけなら問題なし。帰りのことは夜が明けてから考えるとして、今は釣ることだけに集中しようと、6時15分ごろの船で泊浦の桟橋を出発しました。 この日の乗客は私の他に2組。3月15日にグレ40cmを頭に14尾という釣果が上がっている「アカサキ」と、15日にグレ44cmを頭に8尾、9日にチヌ56.5cm、グレ40cmを頭に各6尾釣れている「小島」に上がるそうです。私は9日に2.3kgのモイカと44cmを頭に16尾のグレが上がったという「ツリサン」で勝負! かつての愛読書「週刊釣りサンデー」の取材で好釣果が出たという「ツリサン」は、渡礁時には潮が高くてアカサキ側の本命ポイントに入れなかったため、磯中央部の船着きでスタートしました。 潮はゆっくり左側、泊浦湾内へ。釣り座の右にはサラシがあり、沖に弧を描く潮目を作り出しています。また、正面10〜15m沖には大きなシモリがあるようです。時期的にサラシは良くないのではないかと思って、シモリの左端にウキ下2.5ヒロのG2の仕掛けを投入してみると3投目でカワハギがヒット。
しばらく釣っているとコッパグレが集まってきました。動きを見ていると深く入れてもサシエが全く残らないことに納得。ハリス2ヒロのままウキを00に換え、ウキ止めを無効化してみても掛からないので、ハリ元にジンタン7号を打って張り張りで釣ったり、ウキをハリスの中に入れて釣ったりしてみると23cmから27cmくらいの尾長グレが当たってくるようになりました。
しかしこれ以降、船着きではアタリが遠のいてしまいました。その代わり潮が引いてきたので8時半ごろに低場に移動。まずはアカサキ向きの根元の方で竿を出し、波の様子を見ながら徐々に前に出ていきました。 磯際のすぐ前にあるシモリの沖ではコッパ尾長がパラパラとヒット。しかしサイズは25cmほどなのでやはりここでも沖を中心に攻めてみてもサシエばかり取られてしまってグレが掛かってもやはり小さい。困ったなあ・・・なんて頭を抱えていたけど、そんな風に悩めるのも実は贅沢なことだったことがすぐに明らかになります。 昼前からはとにかく食わなくなりました。遠投もダメだし際もダメ。浅ダナも4ヒロから沈めていってもダメ。サシエを触られることもあるけど、棒ウキにして無理やりアタリを出して掛けてみてもクサフグ。足元でアタリがあってもアカササノハベラ。たまにコッパグレの群れがフラフラと現れるけど、午前中のようにサシエを触ることはありませんでした それでもここにはチヌがいる。悪条件にも強いチヌさえ回ってきてくれれば・・・と気持ちを奮い立たせながら頑張ってみたのですが、結局午後からはブダイ1つとスレ掛かりのナミノハナ1つ、それ以外はクサフグとアカササノハベラしか釣れることのないまま4時の渡船に乗り込むことになってしまいました。 午後からは風は強くなったけど追い風、潮がしっかり動いた時間帯もあったというのに。 30cm以上のグレを全く見かけなかったことから、口太グレは完全に産休に入ってしまったのではないかと思っていたら、隣のアカサキでは40cmくらいのものを含むグレ5枚ほどとチヌ1枚を釣っておられました。アカサキでも食ったのは朝一番の潮だけだったそうです。あそこは満潮時にいいポイントがあるからなあ・・・。ちなみにもう1組が渡っていた小島ではチヌが入れ食いだったそうです。 ということで、私の釣果は28cmの口太1枚とカワハギ2枚、今回もまたグレは30cmの壁を越えられず、チヌの顔を見ることも叶わず。「グレもチヌも絶好調!」という極めつけの悪条件の中での釣りにしては頑張った方だと思うけど。 これで平成最後のグレ釣りシーズンは終了。いや、私にとっては開幕か。グレが一番釣れないとされる春にこそ私の絶好調があるのかもしれません。瀬戸内の真鯛の誘惑を振り払えるのであればね。
・悲運の天下人のふるさとへ 釣りを終えた私は再び幡多郷へ。釣りだけならできるけど、そのまま帰るのは無理と判断して手を打っておきました。今回は急いで帰る必要もないし、刺身パーティーなんて不可能だし、何より命には代えられませんからねえ。で、その夜はひたすら熟睡。さすがに釣りさえ終われば何事もなかったかのように眠れますわ。 翌朝6時前に目覚めると外は土砂降り。海も南西の風でえらいことになっているのでさっさと北上を開始。途中黒潮町の国道のカーブで対向車線のトラックが跳ね上げた大量の水の塊で数秒間目潰しされ、あわや大事故という恐ろしい目に遭いながらも、こんな時でもなきゃ寄れない場所、徳島県三好市三野へと急ぎました。 着いた頃には嘘のように晴れ渡り、気温も25度くらいまで上昇していた三野は、近畿四国の9か国に覇を唱え、織田信長に先んじて天下(畿内)に足利将軍に拠らない独自の政権を打ち立てた天下人・三好長慶のふるさと。ただし本人は四国には帰らず畿内で活動していたこともあって、三野には特に遺構も残っていない城跡と墓があるくらい。(しかも墓は見逃してるし・・・)中央構造線の露頭の見学も兼ねて立ち寄った道の駅に何かの資料や書籍でもあるかと思えば特に無し。土産物コーナーに「三好長慶の郷 三好なかよし みのにもんた」と書かれた駄菓子の詰め合わせがあったけど、駄洒落を通り越して意味わからん(汗) それでも実際にその地に行ってその場所の空気を吸い、想像を巡らせているだけで喜びを得られてしまうのがこっちの趣味のいいところ。その実力と栄光とは裏腹に悲惨な晩年を過ごし、ごく最近まで評価もされなかった悲運の天下人のおかげでどうにか気力を取り戻し、旧赤松領へと無事に帰国することができた次第です。
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